スキー大好き

謙介のスキー初体験は大正13年。中学校4年生の時。
それ以来、70歳代まで、毎シーズン欠かさずに滑っていたというから、日本のスキー史をカバーしているともいえる。
また謙介の生まれた明治44年というのは、新潟の高田の第五十八連隊で、オーストリアの武官テオドル・エードレル・フォン・レルヒ少佐が日本で初めてスキー訓練を行った年だというから、スキー好きには因縁めいたものがある。
初めてスキーをはいた記念すべき年、謙介は伊吹山のスキー場へ出かけたのだが、暖冬で雪がなく滑ることができず、赤倉まで行き生まれて初めてのスキーを楽しんだ。
赤倉は、この時から謙介のお気に入りのゲレンデになった。観光ホテル、望月旅館というのが常宿だった。それ以来、大学では冬休みになると2ヶ月近く赤倉にこもって楽しんだ。

岡山市内に竹波運動具店という店があり、その店が「OSMC」(岡山スキー・マウンテン・クラブ)というチームを作って、スキーの普及活動をやっていた。
謙介はそのメンバーに入り中学の高学年から山陰の「伯耆大山スキー場」へ出掛けてスキーをやっていた。大学を卒業し、岡山に戻ったときも、この「OSMC」メンバーに復帰し活躍している。

謙介のスキー好きはファミリーメンバー全員に影響し、妻昌子そして息子3人は、大のスキー好きとして成長する。長男祥介は高校のスキー部の主力選手として活躍した。

もちろん後にはVAN JACKETでも、謙介の主催で数多くのスキー大会が行われた。

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