IVY TOUR AROUND USA
「マツダ360クーペ・アメリカの旅」Vol.3

ニューヨークの新聞に載る  

ニューヨークに着いて間もなくして、誰が知らせたのかブルックリンのローカル新聞社から連絡が入り、我々のことを取材したいという。2つ返事で応じると彼等が指定したブルックリン中心部の広場へ向かうと、大きな凱旋門の下で彼等は待っていた。2人の記者とカメラマンは先ず最初に我がマツダクーペ360を見て、その小ささに大袈裟に驚いて見せた。そして旅の目的やチッポケな車によるアメリカ大陸横断の苦労話など聞かれたが、ここでもアメリカ人たちによく聞かれた質問「この車1ガロンで何マイル走るの?」をされた。ガソリンがあんなに安く、アメ車が1番大きかった時代でもアメリカ人たちは案外経済観念が発達しているんだな不思議に思ったものだ。こちらが「1ガロンで約50マイル走る」というと「ヒエー!」と驚く。

ニューヨークの新聞といえばニューヨークタイムスを誰もが思い浮かべるだろうが、これはブルックリン地区を対象にしたローカル紙だ。

アッと驚く出来事が起こった

この新聞の取材中に面白い出来事があった。インタビューもたけなわの頃、1台の白バイ(何故かそれは黒い白バイだった)が近寄って来て、おもむろにバイクを止めるとツカツカと我々のほうに歩み寄ってくるではないか。「お前らそんな所で何やってるんだ?許可得てるのか?」なんていちゃもんつけられるのかと思って身構えていたら、そのお巡りはマツダクーペの周りをグルッと回って不思議そうに中をのぞき込んでいたかと思うと、今度は前に回っていきなりバンパーに手をかけ、エイヤッとばかりに持ち上げてしまった。正に軽々とといった感じでニコニコ笑いながら我々の方を見ている。これにはこっちが口をアングリ。見ていた犬飼君曰く。「パンクした時この人がいてくれたらジャッキ使わなくてすむね。」これには一同大笑い。マツダクーペはリアエンジンだから前が軽いことは軽いのだが、それにしても怪力のお巡りがいたもんだ。この白バイ警官だけではなく、チッポケなマツダクーペはアメリカ中で人々の興味をひいて、しょっ中人だかりができてしまうのであった。

 

  

再び車を西に向けアメリカ一周の復路に着く

1961年10月25日にニューヨークに着いてやっと旅の半分を走破した我々は、憧れのニューヨークで10日間を過し、再び今度は北米大陸の南寄りのルートを通って出発点のロスアンジェルス目指して11月6日帰途についた。帰りの予定ルートはワシントンD.C.ーナッシュビル(テネシー)ーニューオルリンズーテキサスーグランドキャニオンーラス・ヴェガスーロスアンジェルスと大まかに設定し、途中面白いことが起こったらその都度コース変更しようということになった。
ニューヨークを出て先ずアイビーリーグ校の名門プリンストン大学を表敬訪問するも、アイビーリーグの取材は既にハーヴァード大学やイエール大学で一応済ませていたので早々においとまして南西に針路をとり、かつてアメリカ合衆国の首都であったフィラデルフィアを経て、いまのアメリカの政治の中心ワシントンD.Cを目指す。途中ボルチモアに1泊、11月8日ついに我々はアメリカ連邦議会の議事堂前に車を止めた。

 

議事堂前では写真を撮るくらいにすませ、世界中で一番有名な建物ホワイトハウスを目指してさらに車を進める。このチッポケで不思議な格好をした車をホワイトハウスの前に止めていたら、ケネディ大統領が面白がって出て来ないかな、などとありそうもないことを考えながらしばしホワイトハウス前に車を止める。予想に反してホワイトハウスの前は人だかりもなく、誠にのどかに静まり返っている。僅かに3人づれが冊ごしに建物を見つめているにすぎない。今なら直ぐに警備の警官に追っ払われることであろう。
   
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