俳優座の面々
天津で終戦を迎えた一家はアメリカ兵営で生活するが、それは意外に贅沢なものだったという。
接収される前の日本海軍の金がタップリあったため、毎日霜降りの一番いい肉を買って、日本の将校クラスを招待してスキヤキをしていた。
ある時、まぎれて一人の二等兵がやってくる。それが俳優座の役者信欣三だった。彼は「今は、もう将校も何もあるもんか」と芝居の話を面白おかしく話してくれ、日本に帰るまで、ほとんど毎日我が家に来ては話しこんでいた。
彼との出合いが、後年大阪VANの創業期と役者連中とのつながりとなっていく。
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二等兵信欣三とは天津で別かれて以来、まったく音信不通だったが、謙介が東京に出張したある日、三越劇場のポスターに彼の名前を発見。謙介は早速連絡をとり「やあやああの折は」ということになった。
それから彼は、公演で大阪に来るたびに俳優座一同を引き連れて謙介のところへ遊びにやってくる。
千田是也、東野英治郎、小沢栄太郎、山岡久乃……。
こんな連中で石津家兼VAN事務所はワイワイ大騒ぎ。そのうち、俳優座の連中だけではなく、民芸がくる、文学座がくるという訳で、いつの聞にか石津家は、大阪の新劇クラブのようになっていった。
この連中の目的は、ワイワイやる楽しさもあったのだろうが、もうひとつ、VANの商品を持って行くためだったのだ。
商品を作っている中へ入りこんで、あれやこれや袖を通し、ここが大きいとか、小さいとか勝手放題をいって、そのあげく、じゃ、ボクはこれがいいや、なんて着て帰っちゃう。
謙介の「勘定は出世払いでいいよ」という一言がすっかり評判になって、石津ってのは役者に気前がいい、なんてことになって、滝沢修、宇野重吉、芦田伸介なんて連中まで加わってくるようになり、みなよろこんで着て帰っていく。
「役者連中ってのはいつもファッションの話題になるもの。そういったそうそうたる連中が着ているんだから、他の連中もVANの商品をさがすようになる」という謙介の言葉通り、この俳優連中との付き合いがVANの名を有名にするひとつのきっかけになる。