山岡久乃のエピソード  
昭和25,6年、大阪のVAN事務所兼石津家は、いつの聞にか俳優座の連中だけでなく、民芸、文学座の俳優・女優の溜まり場、大阪の新劇クラブのようになっていった。その中でもひときわ可愛かったのが、宝塚出身で昭和21年に俳優座に入団した山岡久乃。後年は「渡る世間は鬼ばかり」などテレビで活躍し「日本を代表するお母さん女優」として、不動の地位を築いた彼女も、当時はまだ20代半ばの新人女優だった。やがて彼女は、 同じ俳優座の準劇団員だったメンバーとともに劇団青年座を結成する。謙介は結成のお祝いにと、青年座の男女ユニフォームと帽子を作ってプレゼントした。素材は丈夫なデニム。白いステッチを入れた洒落たチュニックで、男女別々のデザイン。まさにこれが石津謙介のユニフォーム・デザインの記念すべき第1号となった。

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昭和29年、謙介の長男祥介が明治大学に入学し、上京することになった。
さて、どこに下宿させようかと謙介と昌子が考えていた時、山岡久乃が「私が東京で面倒見るわよ」と身元引き受け人を買って出てくれたのだ。
さまざま世話になっている謙介への御礼の意味もあったのだろう。
渡りに船と、有難く祥介はお世話になることにし、彼女の渋谷のアパートに同居を始めたのだが、全く彼女は帰ってこない。丁度この時期、彼女は劇団の創設や深刻な恋で大変多忙だったのだ。
面倒見るどころの騒ぎでなく、体のいい留守番役で、食事も作ってもらえるものと当てにしていた祥介は、上京早々外食やら自炊やらで、大変な大学生活を始めることになってしまったのだ。