1963年(昭和38年)明治大学演劇部を卒業後、なアメリカに遊学。ロスに半年。英語学校へ通う傍らバイトに明け暮れ。サンフランシスコに移り、冬はスコーバレーでアメリカ人にスキーを教える。
父謙介のいいつけでニューヨークで資料探しもするなど2年間、存分にアメリカ生活をエンジョイする。
昭和40年、帰国後、謙介の率いるヴァンヂャケットに入社する。
配属は啓介のために作られたようなVAN SPORTS部。
得意のスポーツ分野で、彼がまず手掛けたのはスポルディングとのブランド・ライセンスの導入。
VANとはひと味違った大人のためのゴルフ・ウエアとしてのスタートを軌道に乗せる。
また得意のウインタースポーツを企画に活かした、スノー・スポーツ・ファッションの展開など、啓介ならではのヒット作を数多く生み出したこともよく知られている。

英語学校の前で アメリカ生活も充分にエンジョイ
していた
帰国後、ファッションの展示会にて生涯の友となったテラケイこと寺本圭一と
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