IVY HOUSE

1957年(昭和32年)建築家池辺陽設計によって建てられた石津謙介の実験的住宅「ケーススタディ・ハウス第一号」「池辺作品No.38」は、その後ライフスタイルの変化とともに何回かの増改築が行われた。

大規模な増改築は1966年、近所に借家住まいをしていた祥介夫妻に子供が出来、この家に住むことになった時に行われた。
この増改築を任されたのは祥介の友人で、前年に石津家の山中湖の別荘「もびぃでぃっく(VAN雅楼)」を設計・施工した建築家の宮脇壇、宮大工の田中文男という豪華チーム。
「夏は暑く、冬は寒くて大変だった」という実験的住宅は、この増築時に断熱材を入れ、コンクリ剥き出しの壁を檜材の板張りにする。1970年には床暖房を新設するなど大改装され、ようやく本当の意味での住居に生まれ変わった。
この時祥介が植えた僅か30センチばかりの蔦は、やがて家を覆うように茂っていく。
謙介家族、祥介家族の住んだこの住まいは、次に次男の祐介が住むことになる。

そして1978年、VAN倒産により成城の家を明け渡した謙介夫妻が戻ったのは、この四谷の家であった。蔦が鬱蒼と生い茂るこの家を自らIVYHOUSEと命名し、新たな仕事に携わるかたわら、へたな日曜大工を楽しみ、集まる小鳥たちを愛で、料理作りや人寄せをエンジョイした。
まさに「悠貧」という生き様を2005年の最後まで楽しんだのが、このIVYHOUSEであった。