Racing Mateを育てた仲間たち

式場壮吉
第1回日本グランプリではトヨタ・コロナでクラス優勝、第2回日本グランプリではポルシェ・カレラ904GTで総合優勝し、当時日本で1番速い男と云われたレーサー。
現役引退後、Racing Mateの代表となる。現在も自動車評論家としても活躍している。

杉江博愛
式場の同級生で子供時代から大のクルマ好きで、やがて式場と共にトヨタのワークスレーシングチームの中心メンバーとなる。
式場らと語らいRacing Mateの創立メンバーとなる。Racing Mate消滅後も、車との関わりをますます強め、やがて徳大寺有恒という名で日本の代表的な自動車評論家となる。

石津祐介
車を通じての式場との交友関係は50年に及ぶ。第1回、第2回日本グランプリに式場と共に参加し、以来共に車との関わりをさらに強め、Racing Mateの創立メンバーとなる。
後にVANの宣伝部長となり、VANとの企業ぐるみでのモータースポーツへの支援する原動力となる。

生沢徹 
少年の頃から浅間山麓で開かれていたオートバイレースに出場経験を持つ大のモータースポーツ愛好家で、第1回日本グランプリから4輪レースに参加し、後に英国のジムラッセル・レーシング・スクールに入って腕を磨き、日本最初のフォーミュラカー・レーサーとなる。
式場、石津、杉江とはレーサー仲間として毎夜の如く種々の遊びに興じ、レーシング活動から引退した後も主として英国のモーターレース界で活躍。彼のレーシングスーツやマシンには、いつもRacing MateやVANのマークが付けられていた。

ミッキー・カーチス
ロックンロールやジャズ歌手として一世を風靡したミュージシャンだが、彼は早くからVANとの密接な関係のもと、音楽活動や各地でライヴを開いていたものだ。
クルマ好きぶりも有名で、くろすとしゆき氏を筆頭に式場や石津たちと共に、アイビースタイルとモータースポーツを愛好するヴィンテージ・クラブを立ち上げたりと、常にその遊びに関するリーダー的存在となる。
第2回日本グランプリにも出場し、モータースポーツ愛好家としても名声を博した。

浮谷東次郎
日本屈指の若手レーサーとして名声を博し、Racing Mate所属のレーサーとして船橋サーキットでの生沢徹との一騎打ちは語りぐさとなっている。火の玉の出るような疾走振りは有名であったが、ホンダのマシンを駆っての鈴鹿サーキットで事故に会い、惜しくもこの世を去ってしまう。彼の乗るマシンにもまた、Racing Mateのロゴ・マークが輝いていた。