当時は大学のOBによるクラブチームはあったが、社会人リーグは勿論、企業がクラブ・チームを持つことも考えられない、まさに草分け時代だった。
このクラブ経費を全て会社がまかなっていたというのも、ヴァン ヂャケットならではだろう。1ドル360円の時代、防具一式の輸入で10万円、チーム25人から30人で防具代だけで300万円はかかっていた。最盛期にはクラブ予算が毎年2000万円にも達していたという。
謙介曰く「そのくらいの金、ヴァンのヤツ、みんな飲んでいたんだからね(笑)」(アメリカンフトボール・マガジン1990年11月号ヴァンガーズOB座談会より)





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結成後1年を経過したVAN GUARDSの活動を取り上げたスポニチ記事。
「バン」ガーズ、「バン」ヂャケットと表記を間違ってはいるが、
内容的には社会人チームの苦労をよく伝えている。