ネーミングとロゴ

VANのネーミングがどこから来たのかは、割合によく知られた話である。
昭和26年(1951)、レナウンを円満に退職した石津謙介は、レナウン時代の同僚高木一雄と組んで「石津商店」をスタートさせる。
すべり出し順調な石津商店だったが、、アメリカ好きの謙介は、いつまでも石津商店なんて古くさい名前では駄目だと、社名変更することを考えていた。
そんな折、兄・良介の友人で、写真評論家の伊藤逸平が出版していた大人の風刺雑誌「VAN」(発行元イヴニング・スター社)が謙介の目に止まり、ひと目でそれが気に入ってしまう。「VAN」という音の響きもよいし、ロゴにして眺めると男性的でもある。何より「VAN」という言葉には"前進"とか"前衛"、"第一線"という意味があることから、新しい会社に一番ふさわしい言葉と思い入れが募り、意を決して、謙介は伊藤逸平にこのネーミングの使用許可を願い出て快諾を得た。
このようにして昭和29年(1954)4月、石津商店は、有限会社ヴァン・ヂャケット(ブランド名「VAN」)と改組して、新たな船出をすることになる。

当初はいくつか種類があったVANのロゴは、すぐに特徴的なステンシル書体の「VAN」に統一されていく。そのロゴ・デザインは日本のグラフィックデザイン界の草分けであり、日宣美(日本宣伝美術会)設立にも参加し、デザイン界の重鎮として活躍を続けた河野鷹思の手になるものだ。
当時、河野はこの風刺雑誌「VAN」を始めイヴニング・スター社の刊行物の大部分の装丁を手がけており、表紙イラストまで描いていた。恐らく謙介は伊藤逸平の紹介で、河野に新しい会社のロゴを依頼したものと思われる。
手描きに近い最初のVANロゴは、後年ヴァンヂャケット意匠室(デザインルーム)のトップであった保科正(現アルフレックス社長)によってCIとして整備され、今日のロゴとなる。

いまでも古さを感じさせないVANのネーミングやロゴを、敗戦から僅か数年後、いまから半世紀以上前にプランし、ブランド・イメージとアイデンティティを確立していった石津謙介のクリエイティビティや、その感性の鋭さにはいまさらながら驚嘆せざるを得ない。