MFUと聞いてもピンとこない方が多いかも知れない。
むしろ毎年、年末に発表される「ベストドレッサー賞」を主催している協会と言えばお分かりいただけるだろう。
MFUは一般社団法人日本メンズファッション協会=THE MEN'S FASHON UNITYの略称である。
そして、その歴史は半世紀余りにも及ぶ。(MFUの公式ホームページによれば、)MFUの企業会員の母体となるのは1954年(昭和29年)に設立された「関西スポーツウェア会」に遡る。この会は大阪スポーツマン、クラウン、大洋スポーツのカジュアルウェア業界の三社が集まり組織化した「紳装会」が起点となった。
さらに、1957年(昭和32年)6月に「ファッション十三人会」が発足。メンバーは、石津謙介、伊藤道郎、青江耿介、三木 晶、立亀長三、広瀬雅一、原田 一、伊藤進一郎、村田金兵衛、星野醍醐郎、中田 猛、高木栄三、山本隆通の13人でMFUのクリエイター、デザイナー会員の母体となった。
そして、翌年'58、9月22日MFU設立準備委員会が発足した。
発足にあたって謙介の当初の狙いは、メンズ・ファッション界の世論を統一し、業界全体をプロモートすることにあった。そのためには、メンズファッション・ジャーナリストや評論家、デザイナーが業界と結びついた環境作りが急務であると謙介は考えたのだ。
こうして、準備委員会発足の2年後の1960年(昭和35年)4月5日「日本メンズファッション協会」(MFUメンズ・ファッション・ユニオン)が任意団体として発足した。石津謙介、伊藤道郎、青江耿介らを中心に「十三人会」を発展させる形で、組織は東西に分け、東京地区は青江耿介、大阪地区は杉山静江が理事長に就き、会長には伊藤道郎が就任した。この頃、謙介は大阪を中心に活動をしていたため、大阪地区の副理事長を引き受けた。4月6日(5日?)大阪、肥後橋の「ABCホール」で旗揚げの会が開催され、以前から謙介と親交があったアイ・ジョージや坂本スミ子が祝いに駆けつけた。
この年から2001年まで、MFUは毎年ファッション・テーマを発表するのであるが、第1回は「ハイスピリット・カラー」であった。以降、'63の「T・P・O」'68の「ミスター・ピーコック」、'71の「ユースフル・アダルト」、'75の「第三のカジュアル」、'78の「ダブリング」、'84の「ビンテージ・フラッシュ」などなど多くのヒット・テーマを生み出した。誰もが感心する謙介のネーミングの才がここでも多いに発揮されたというわけだ。

1967年(昭和42年)には「NSK」(日本スポーツウエア協会)とMFUが合併する。翌年、'68(昭和43年)1月、謙介がMFU会長に就任する。