マスコミの寵児

昭和30年代後半から40年代、石津謙介は「アイビー教教祖」としての顔に加え、ファッションやライフスタイル評論家としての顔が、マスコミにもてはやされるようになっていく。
その頃メディアとして急成長しつつあった、テレビの出演依頼が多かったことがそれを裏付ける。謙介の人間的な魅力に加え、世界を旅して身につけた豊富な知識、雑学に裏付けされた、分かりやすく楽しい、当意即妙な会話術が、まさにテレビ出演に向いていたのだ。
相手を選ばず、どんな話題にも対応できる、そのたぐい稀な会話能力や社交性が、世の奥様方にも通じる彼の大きな魅力だった。
ファッション化社会という言葉が流行りつつあった当時の日本ではあるが、現実にそのファッションや生活スタイルを分かりやすく説き明かす語り部は、石津謙介以外に殆どいなかったのだろう。それはいまでも決して多いとはいえないが・・・。

自ら創業したヴァンヂャケットが急成長していく昭和40年代、石津謙介はこうした外部の活動、ファッション評論やコメンテイター、著述業などに興味の軸を移していったようにも思える。