仕事を離れた啓介はまさに遊びの天才。
冬はスキー、そしてボブスレー強化選手候補として、ドイツやイタリーに視察にいったり、72年の札幌冬期オリンピックでは委員を務めたり(五輪組織委員会からはその功績に感謝状を贈られている)、夏には、当時日本では珍しかったハウスボートを作って、油壺湾に浮かべ、海遊びを楽しむ。
音楽は大学時代からの仲間を集めてカントリーのバンドを作り、寺圭ゆずりのボーカルでプロまがいの演奏を楽しむ。
交友関係も幅広く芸能関係、音楽関係、スポーツ関係と、まさに父謙介譲りの社交性を感じさせた。
友人の一人放送作家だった青島幸男に乞われて映画(1967年カンヌ映画祭入選作「鐘」)にも出演するなど、多方面の遊びの才能を発揮。それは、時代を同じくする加山雄三の若大将そこのけの活躍ぶりだった。
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アメリカでボブスレーの練習もトライ オリンピック委員として感謝状をもらう VANのスポンサーで新たにバンド
VAN DALLSを結成、
左端はVANの若林販促部長
1967(昭和42)年青島幸男監督作「鐘」にも出演